日本橋室町

当社は創業時(大正12年)は千代田区丸の内(郵船ビル)に事務所がありましたが、 その後中央区京橋~日本橋~日本橋室町に移転して今日に至っています。

「室町」という地名は江戸から続いているようです。
江戸時代は今の日本橋室町1~2丁目の中央通りをはさんだ一部で、
徳川家康の入国後に町屋として開かれました。

町名は京都の室町にならったもので、江戸第一の繁華街でした。
越後屋(三越)や千疋屋などの有名店も当時から軒を連ねていたようです。

建物は新しくなっていますが、当時の面影がところどころに見られる町並みは
「江戸」を感じさせてくれます。

『藤沢周平と日本橋室町』 私の大好きな藤沢周平の小説は江戸町内の話も多いのですが、 その中には日本橋室町界隈の話もあって、とても興味深いものがあります。

七ツ(午後四時)過ぎに、森田屋清蔵は室町三丁目の自分の店を出た。
お供も連れず、つい近所に用足しに行くような顔をしていたが、手には風呂敷包みを持っていた。
季節はそろそろ九月の半ばにさしかかろうとしていて、空が晴れると日中は暑いほどの日差しが降りそそぐものの、その日が傾くころにはもう首筋のあたりが涼しくなる。
歩いて行く物の影が濃かった。
森田屋は店を出て大通りを北に歩くと、町年寄の喜多村の屋敷がある四辻から、すぐ右に曲がった。
そのまま脇目もふらず大伝馬町の角まで来ると、また右に曲がった。
結局森田屋は塩河岸に出た。
そして堀留の方に曲がるとそこにある小さな古手問屋に入った。
信夫屋という森田屋の取引先の一軒である。
 (「赤い狐」より)

森田屋が当社(日本橋室町一丁目)の付近を歩いている姿が目に浮かぶような話ですね。

<藤田 徹>